ことばの生まれる景色

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【本屋と絵描きと、ことばの生まれる場所を生きる本とひとびと】

東京は荻窪にある人気の新刊書店「Title」の店主、辻山良雄さんから生まれた40のことばの景色と、それに寄り添うように描かれた画家nakabanさんの絵たちの編まれた一冊。

本書には、辻山さんの大切な40冊の本のことが取り上げてあるのですが、今日はそのなかから、おなじみの、写真家 齋藤陽道さんの『声めぐり』『異なり記念日』にまつわる一節を黒板に書きました。

「齋藤との会話では、「意味」の前に「存在」を交わし合っているような気にもなるのだが、その確かに人と出会ったという実感が、彼と出会う人の心を開き、しばらくのあいだ温めてくれるのだろう。」辻山良雄

ここに書かれた辻山さんのことばは、そっくりそのままぼくが齋藤さんと出会って感じたものに通ずるものだ、と思いました。

齋藤さんは、会話をはじめるまえから、もっと言えば彼のすがたかたちを見たその瞬間にすでに、ことばとしてそこにいるようなひとだと思いました。

ここで言うことばとして、というのは、辻山さんの「存在」という言葉の意味と言い換えてもいいかもしれません。

存在は、確かにすでにして存在しているのですけれど、その存在の存在感がうすれているひとや、存在の存在であることにうすいベールをかけてあるひとなど、世の中にはいろいろな「在る」のしかたで、ひとは存在しているのだとかんじます。

そんななかで、時々、ふとしたときに、そうしたうすいベールの存在などまったくもって知らん顔でもするかのように、あるいはほんとうにしらないように、あっけらかんと存在してしまっている、清潔な風のようにきもちのいい存在感を感じさせるひとに、出会うときがあります。

ぼくにとって、齋藤さんというひととの出会いは、そんな風に包みこまれる体験そのものとして、はじまったものでした。

彼が写真を撮るときもまた、同じような、風の流れを感じる。それは、暴風のような激しいものではなくて、春風のようにすこし甘く、かろやかな光の、静かに踊りまわる様を想起させるような、そういう類の静寂の風です。

風は、眼前に現れる光を捉えるカメラとしての眼と、見えないものまでを含みこんで捉えてしまう眼をもって、聞こえないものまでをも聴きながら、そこでシャッターを押す。

不思議なもので、いい写真が撮れたときばかりでなく、被写体として、いい写真を撮られたなということも、からだをひらいて、くるみこんでくれるふたつの眼の邪魔をしなければ、わかるものなのだと、最近知りました。

写真もまた、そこに存在を覆うベールを突き刺すように、存在の存在であることの肌理を写し出すならば、そこには存在があり、ことばがあると感じる。

写真のことばは、存在の声を語り出す。写真とはまた、ひとつの見えない口なのでしょう。

対話が生まれるとき、ことばが生まれるとき、そこには存在があり、存在と存在とが互いに裸のものとして向き合っている。

庭文庫にいて、時々、縁側から、河のほうをじいっと一時間くらい眺めてから、ふとなにかを思い出したりして、やわらかくちいさな風のそよぎのようにして、ぼくのほうにちいさく、語り出すひとがいます。

彼ら彼女らは、おそらくは、流れる暴風のような時間の濁流から、ここへきて、この場所でみずからの時のなかに回帰して、さまざまなものを思い出すのだろうと見えます。

みずからの時は、自身を自身のまんなかへ回帰させるということを、ぼくは確信していて、そういう場所こそをつくりたいと思っていました。

そうしてこの庭で、清潔な風としてのことばたちが、それぞれのかたちを纏って、現れ出てくるといいと思うのです。

ことばの生まれる景色には人がいる。
人という存在が存在を交わし合っている。
そうして幾多もの時のなかから、それぞれのかたちをしたことばが織りなされ、文として編まれ、本たちは生まれてくる。

本屋とは、そうしたことばたちの安まる場所、なのかもしれません。

辻山良雄 文『ことばの生まれる景色』
単行本: 264ページ
出版社: ナナロク社 (2018/12/18)
商品パッケージの寸法: 18.8 x 12.8 x 2.5 cm

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